中学受験の社会(やしろかい)

 
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 ようこそこのブログへお越し下さりました。ワタシは当ブログの主宰を務めております理事でございます。
 おそらくほとんどの方は当ブログへ偶然行き着いたことでありましょうからして、わざわざこの記事からお目通しいただいているだけでもワタシとしては幸甚の至りです。せっかくこの記事にお目通しいただいているからには、まずはなぜに当ブログが「まずは第1回の記事をお読みください」と勧奨しているか、この点からお話をしたいと思います。

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戦略の階層01-1

 「火事になるから火を使わない、という人類はいない」。それこそchatGPT大先生擁するbing先生に質問したところ、たちどころに「そりゃ夏目漱石の比喩ですよ」と一発でお答えくださいました。ところが例えば「青空文庫」で漱石の全作品に検索をかけると、どこにもそのような表現はついぞ見いだせませんでした。
 ……なぁんて言うと、その途端に「生成AIとやらも所詮はこの程度m9(^Д^)プギャー。こんなので宿題やったつもりになるバk(略)量産するだけのとんだシロモノだわ!」と、まさに「鬼の首取ったかのように」騒ぎ立てるヤカラというのがどうも少なからず存在するようです。では、そんなキミにワタシから問おう!「生成AIの検索はダメで、google検索はいい、ということなのですか?」。ハッキリ言って生成AIに「自然言語で検索可能」という機能それそのものを求めている時点で、ワタシの方こそm9(^Д^)プギャーなんですが、何か?なんですが、実は全くこれと同様のケースとワタシには思わざるを得ない椿事に遭遇したのです。それは次の記事を引用リツイートしたときのことでした。以下(かなり長文なのですが)引用しましょう。

「聞いてるふり」は通じない? 集中しない生徒をリアルタイムで把握 教員からは期待、「管理強化」に懸念も
6/21(水) 10:00配信
共同通信

 授業中の生徒が集中しているかどうかを、教師がリアルタイムで把握する。まるで漫画や小説の世界のような取り組みが、ある公立中学校で試験的に始まっている。生徒の脈拍から「集中度」を割り出しているといい、校長や教員からは、上手に活用すれば教育をより良くできると期待の声が上がる。
一方、使い方次第では子どもや教員の管理強化にもつながりかねない。現場を訪ねると、驚きの光景が広がっていた。(共同通信=小田智博)

5月9日朝、埼玉県久喜市立鷲宮中学校の1年3組では、家庭科の授業が始まっていた。生徒31人の手首には、脈拍を測るリストバンド型の端末が巻かれている。「集中度」をほぼリアルタイムで把握できる日本初のシステムがこの日、初めて本格稼働した。保護者には概要を伝え、個人情報への配慮も説明。了解を得ているという。  
家庭科を担当する落合さやか教諭の端末の画面には、折れ線グラフが並ぶ。どの生徒の折れ線かは、氏名の一部と出席番号で表記。更新は1分おきで、授業開始からの変化が一目瞭然だ。  
この日の授業のテーマは「衣服を選ぶ際の留意点」。教諭の説明が終わり、生徒がインターネットや教科書から情報を集め、一人一人のパソコンでまとめる作業に入る。すると折れ線が全体的に右上を向いた。多くの生徒の「集中度」が上がっているようだ。  
教諭が手元の画面に目を落とす。先ほどまで高い集中度だったある男子生徒のグラフが急降下していた。教諭が近寄ると、既に作業を終えていた。「手持ち無沙汰だったのか」と気付き、追加の課題を出した。  
授業後、私はその男子生徒に、当時どんなことを考えていたのか尋ねた。生徒は「意識はしていなかったけど、『終わったなー』と思っていた」。 
「集中していない生徒の様子を見て回った」
初めて使った落合教諭は、生徒を個別に支援する助けになると感じた。  
「真面目に取り組んでいるように見えるのに、集中度が低い生徒もいて驚いた。クラス全体の集中度の変化に着目すれば、興味を引く授業ができているかどうかも分かるのでは」  
実際に授業では「集中していない生徒を見つけ、主にその子たちの作業の様子を見て回った」。  
一方で懸念はないのだろうか。教諭は少し考え込んでこう説明してくれた。「生徒の無意識の部分を見るのは、申し訳ないような気がする。でも、授業が生徒に『はまって』いるかどうかが分かるのは、すごく参考になる」 

「脈拍はうそをつかない」
そもそも、脈拍で集中度は測れるものなのだろうか。今回の測定の仕組みはこうなっている。  

(1)登校した生徒は、それぞれに割り当てられたリストバンド型の端末を装着する。端末は生徒の脈拍を刻一刻と記録。
(2)そのデータは、教室の隅に置かれた小さなボックス型の機器に自動送信。集約され、インターネットを通じてサーバーへ。
(3)サーバー上では、脈拍データが特別な計算式に当てはめられ、一人一人の集中度が割り出される。結果は先生の手元のノートパソコンに折れ線グラフで表示。グラフは保存され、授業後に見返すこともできる。  

今回のシステムを提供しているのは元国立健康・栄養研究所協力研究員の高山光尚さんと、ヘルスケアIT企業のバイタルDX(東京)。高山さんに聞いたところ、脈拍に着目するのは、身体の機能を調整する自律神経との関係が深いためだ。  
「脈拍はうそをつかない。自分ではコントロールできないから」
長年の研究から、脈拍を通じて心身の健康状態やストレスなどを把握することができるようになったと説明する。その上で、集中力が高い状態を「リラックスしすぎず、ストレスが強すぎもしない状態」と設定し、集中度を測定しているという。

生徒の集中力が急上昇!その瞬間、先生は「ポケモン」を語っていた

システムの試験導入を推進している青木真一校長には、狙いがある。  
「授業改善に役立てたい。良い授業には教員の経験と勘が大切だと言われているが、そこにエビデンス(根拠)を取り入れる意義は大きい」  
実は鷲宮中では2021年11月~22年2月にも集中度を把握する研究が行われた。当時はリアルタイムでの表示はできなかったが、それでも授業改善のヒントが多く得られたという。   
例えば、授業中は集中度が総じて低く、休み時間になると集中度が高まる生徒がいた。生徒はトップクラスの成績。「この生徒にとっては、授業の課題が簡単過ぎた」と推測できた。また、教員が一方的に話し、生徒の反応が薄かった授業は、集中度もいまいちだった。
さらに、一部生徒の集中力が急に高まったタイミングを調べたところ、教員が人気ゲーム「ポケットモンスター」について話していた瞬間だと分かった。
 鷲宮中学校には20~30代前半の教員が多い。「経験と勘が乏しい若手の指導力向上に、特に役立つはず」。今後、360度カメラで撮った授業動画とリンクさせる計画もあるという。 

「わくわく」「ちょっと怖い」という生徒たち

若手の教員はどう受け止めているのか。
ある女性教諭は「生徒の集中度が低く出たら、ショックな面はあるかもしれない。でも教員の一番の仕事は良い授業をすること。現実は受け止めないといけない」と語った。ある男性教諭は肯定的だ。「データには授業のいいところも悪いところもはっきり出る。毎時間はともかく、定期的に測定することで効果的な授業改善ができるのでは」
次に、1年3組の生徒たちに感想を聞いた。「データを取って授業が良くなるなら歓迎」「自分たちが関わった取り組みが、もしかしたら世界に広がっていくかもしれないのが楽しみ」「わくわくする」  
新技術の可能性への期待が次々と出てくる。脈拍を常時測定されることに抵抗はないのだろうか。ある生徒は「脈拍ぐらいなら、いい」。
「ばれるのはちょっと怖いかも」
どんな時に集中できないかも挙げてもらった。すると「先生がずっと話しているときとか…」と素直な答え。それでも、顔は先生の方に向けるよう心がけているという。私も身に覚えがあるが、今回のシステムでは「聞いているふり」は通用しなくなるかもしれない。  
懸念する声もあった。「個人情報が盗まれないかな」。すると、すかさず「脈拍って、盗まれるの?」と別の生徒から突っ込みが入った。自分の脈拍の特徴を知られることで何か問題が起きるのか、イメージが浮かばない様子だ。  
ある生徒はこう話した。「集中していないのがばれるのは、ちょっと怖いかも」。おどけた口調で「集中しないと退学になるかな」と冗談を言う生徒もいた。 

教育委員会は「生徒の評価には使わない」 

こうした声に学校側はどう応えていくのだろう。  
青木校長は「成績には反映させないし、個人情報漏えいにも細心の注意を払うので心配はない」。鷲宮中では試験実施の最中で、さまざまな配慮をしているという。とはいえ、今後もし全国に普及していったら、集中度の高低で生徒を評価し、通知表などに反映させる学校が現れる恐れはないのか、気になるところだ。  
久喜市教育委員会の担当者はこのシステムについて、こんな表現をした。「漫画の『ドラゴンボール』に出てくる『スカウター』のよう」。生徒を値踏みする目的で使われる懸念については「分かります」と理解を示しつつ、こう強調した。「あくまでも狙いは授業改善で、どうやって教育の質を高めるか。評価のためではない」 

「よく切れる包丁」どう使うか

最後に有識者に見解を尋ねた。先端技術を活用した教育を推進する東京工業大の赤堀侃司名誉教授(教育工学)は「ものすごく大きいインパクト」と賛辞を惜しまない。  
今や小中学生が1人1台のデジタル端末を扱う時代。政府は、子どもに関するデータを広く収集し、教育に生かそうと本腰を入れ始めている。しかし、赤堀氏によると、現状では学習記録を基に苦手分野を復習させるような事例が中心で、新技術の導入に消極的な学校も多い。それだけに期待は大きい。「生徒に集中度のデータを見せ、授業を振り返らせたら、もっといい。生徒の意識が変わるはず」   
一方、元文部科学省官僚で星槎大大学院の寺脇研客員教授(教育行政)は「内面をのぞくようなもので、抵抗を感じる人は多いだろう」と話す。影響は生徒ばかりか教員にも及ぶと指摘する。「包丁のようなもので、どう使うかが大事。管理目的ではなく、学習者のための使い方を探るのが大切だ」  
システム開発者の高山さんも、世の中にすんなり受け入れられるとは考えていない。  
「1カ月に1回といったところから始めたらいいのでは。あくまでも道具ですから。ものすごく切れる包丁かもしれないけれど」  

※この記事は、共同通信とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 


また、専門家のコメントも以下のようにまさに記事内の専門家同様、「意見が真っ二つ」なのです。


石川一郎
6/21(水) 11:24
学校改革プロデューサー

正直、踏み込んでいい領域なのかなと感じました
いい点として言えば、より良き授業になっていく可能性があるということです。一方通行でなく、子どもたちが集中が高まるようなやり方を考えることは授業の改善につながる可能性は高いとは思います
懸念点としては、ここまで技術で踏み込んでいい領域なのかな、が率直な感想です。いいように使われていけばいいですが、管理を徹底することになりはしないかなという点は率直に心配です。とともに記事にもありますが、生徒の内面的なものをここまで把握するのは、あまり気が進まないですね

矢萩邦彦
6/21(水) 15:20
アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

大前提として同じ話をしても、生徒を集中させられる教師と、させられない教師がいます。このような方法で、生徒が集中していない状態に気づかない教師や、見て見ぬふりをしてしまうような状況を可視化することはできると思いますが、そもそも気づかない・気づけない時点で問題がありますし、見て見ぬふりをしているなら言語道断です。詰め込み的な受験対策などには一時的な効果があると思いますが、機械的な管理で改善を目指すことは「教育的」とはいえません。そもそも「何のための教育なのか」に立ち返り、議論するきっかけになれば良いのですが。

坂東太郎
6/21(水) 22:45
十文字学園女子大学非常勤講師

授業改善の手法としては有効でしょう。ただ「リラックスしすぎず、ストレスが強すぎもしない状態」が「集中度」としたら1単位時間(小学校45分、中高50分)ずっとそうあるべきか若干疑問。
 「一部生徒の集中力が急に高まったタイミング」が「ポケットモンスター」に触れた瞬間というのは理解できます。児童生徒や学生が日常的に興味を抱いている事柄に絡ませれば「ワーッ」という雰囲気が教室を覆う。でもそればかりだと学習指導要領に定められている内容を伝えきれない。「一方的に話し、生徒の反応が薄」い時間もまた必要で、要は単位時間内でどうメリハリをつけられるのかが考察されるとなおいい。
 「トップクラスの成績」の生徒が「授業中は集中度が総じて低」のを「授業の課題が簡単過ぎた」と推測するのも合点がいきます。おそらく集中度とテストという形式のゲームでの好成績は必ずしも正の相関を示さないはずです。


 「健康管理」と聞けば、おそらく100人が100人何らの疑念も抱かないはずでしょう。ところが「生徒管理」と聞くとたちどころにそうとは限らなくなり、そしてこの記事内での一部の専門家のように、「生徒の内面管理」となった瞬間、まさに「個人情報ガー!!」という反応がまたぞろ跳梁跋扈するわけです。そう、まさに「跳梁跋扈ちょうりょうばっこ、すなわち、悪の権化が好き放題に狼藉ろうぜきを働いている」という評価です。例えば「管理」という言葉はまさに記事中の「よく切れる包丁」とイコールであり、また、共に「道具」であるという点もイコールであるのです。ところが困ったことに、それを「評価」しようとするとあたかもベクトルのごとく、「インパクト」と「善悪」という両者を「一緒くたに」評価することがままあるわけです。そして本企画で標榜する「DX化」にかかせないテクノロジーは特にこの「ベクトル的評価」の洗礼を受けることが少なくないのです、まさに引用した記事のごとく。
 今回はこのようなテクノロジーに「ベクトル的評価」を下してしまうのは、ひとえに「サイエンスリテラシーの欠如」によるものであるというマインドセット、つまり当ブログの「戦略の階層」で言う、「テクを定義づけるのはやはり世界観」を論じていきます。
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戦略の階層01-1

「(゚Д゚)ハァ?テメー中学受験ナメてんのかオイ(#`Д´)」……というご意見は今の今まで一例たりともお受けしていないところがこのブログのこのブログたるゆえんでして(^_^;)。え?なにがって?そりゃあ昨年2訂版にバージョンアップした第1回の「戦略の階層」のモデルですよ、ええ。
 2訂版では2021年に局地的ブーム(?)を引き起こした、いわゆる「ゆる受験」を意識した戦略の階層をわざとモデルとして提示しました。もちろんそこにはキチンと断り書きとして「下位の階層から上位の階層は覆せないでしょ?」と記しておきましたが、なんせ「過去最高の中学受験ブーム」と取り沙汰されている今年(2023年)、いや、このところの状況です。当ブログを閲覧するか否かとは切り分けて(断絶して?!)、ゼッテー「ゆる受験」を志そうというご家庭が一家族ならず、否、またぞろ出没しているであろうことは「想像に」難くありません。
 オイなんだその「想像に」ってのは(#`Д´)。いや、そもそも論そういうご家庭は、現在のワタシの職場のごとき「中学受験の常道」を具現化した現場に「ゼッテー現れない」ことは先刻承知なのです。当ブログが標榜する「戦略の階層」よろしく、21世紀の中学受験は20世紀のそれとは比べ物にならないほど高度に「戦略化」が洗練されており、御殿場のウサギが日本橋に放り出されたがごとく、ウチの職場(塾)に「あのぉ~、なんかぁ~、6年生からもぉ~、中学受験がぁできるってぇ~、聞いたんですよぉ~」ぐらいの勢いで来ようものならば、それこそゴキなんちゃらに◯虫剤ぶちまけるかのごとく、全身全霊をもって拒絶しにかかることは火を見るよりも明らかです。
 「21世紀の(あるいは令和の)中学受験に20世紀(ないしは昭和の)理論は通じない」。おそらく現今のこの業界はこのような世界観が大勢を占めることは往々にして予測がつきます。ところがどっこい。こういう「そんなカビの生えたような古色蒼然たる理論」が、実は「そりゃ理論に関わる『位相』の変化に過ぎず、本質は変わっていない」と、大見得おおみえ切って(?)反論した人物がいるのです。コリン・グレイ。当ブログの理論の提唱者、奥山真司おくやま・まさし先生の師匠に相当する人物です。
 ……あ、つっても当然コリン・グレイが中学受験を語るわきゃないっスよ(^_^;)。一次史料に忠実に即せば「戦争や戦略の本質の変化ではなく、戦争の様相の変化、戦略の応用の変化に過ぎない」と氏は述べたとあります。そしてその「述べたとある」というのが、一橋大学名誉教授、野中郁次郎のなか・いくじろう氏の上梓した『『失敗の本質』を語る なぜ戦史に学ぶのか』(日経プレミアシリーズ、2022)なのです。
 『失敗の本質』(中公文庫版は1991。ワタシはこの版を所蔵)。当ブログもたびたび引き合いに出している同著の共著者である氏が、その後の世情の変化及び氏の著書を交え語りおろした同著では、1013回で登場した「ナラティブ」など、まさに現在形の戦略の有り様が余すところなく論じられており、当ブログでも実に学びの多い稀覯本きこうぼんであるのです。そして同書では、現在の戦略は従来の「消耗戦」に対する「機動戦」が二項対立にあらずして二項「動態」として存立する、「新総力戦」と呼べる段階にあると、コリン・グレイやエドワード・ルトワック(この人物も奥山先生の師匠に相当する人物です)らの知見を交え紹介しています。そう!今様の中学受験界で言えば「ゆる受験」のような新形態の爆誕か?!……といきたいのですが、その前に。
 「ゆる受験」。この語の提唱者を自称する(一応ネット上の話だとそういう事になっているらしいのでこの表現を用います)亀山卓郎氏の定義によれば「(偏差値60以上の)難関校を目指さない中学受験」ということだそうですが、そもそも論この「偏差値60」という定義自体がワタシに言わせれば「定義の体をなしていない」としか言いようがないのです(理由は例えばこの記事参照)。なればこのワタシが「シン・ユル受験」と銘打って新たな世界観を構築してみせやしょう!という今回の趣旨です。
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戦略の階層04

トウタクしょうこくに ゆみひく おろかものたちよ ひとりのこらず このカユウが せいばいしてくれるわ!
(華雄CV 郷里大輔)

うぬが リュウビぐんの 〇〇か! よくもわがおとうと エンジュツを・・・ おとうとの かたきだ ちまつりに あげろ!
(袁紹CV 永井一郎)

これいじょう ゴのくにを おかすことは ゆるさん リョモウのけん うけてみよ!
(呂蒙CV 石丸博也)

〇〇よ! よく ここまできた! ギとわがぐんは ふかしんじょうやくをむすび ともに ショクをほろぼし
てんかのじっけんを にぎるはずであったが こうなれば うちじにもかくご せねば なるまい
ものども かかれ!
なかなかやるのお! わかぞうよ・・・だがわしは ほかのものとは ちがうぞ それをいまから おしえてやる
(孫権CV 小杉十郎太)

〇〇よ リュウビはショクカンの コウテイを なのったそうじゃのお そのむかし ロウソウソウンで
むしろをうっていた わかぞうが ミカドをなのり さらに ギにせめいるとは ふとどきせんばん
まあ いずれショクカンを たたくつもりであったから ちょうどよいわ いま このばでショクぐんの
いきのねを とめてくれる!
(曹丕CV 鈴置洋孝)

きさまら ショクぐんか? そうか このしろが せめられるようでは ギのくにも そうながくは
ないかもしれん しかし このしろを あけわたすわけには いかん!
(荀彧CV 岡部政明)

よく ここまできたな 〇〇しょうぐん しかし そのあくうんもここまでよ! ここで くたばっちまいな
わがちち シバイのもとで はたらけば ぜいたくな くらしが できるものを・・
(司馬師CV 石田太郎)

これだけいっても わからんか いますぐ わがくにに くだれば おもくもちいようと いうものを・・
ふんっ なかなかやるのー しかし このこうげきに たえられるかな!
なかなか しぶといのー そこまで いのちをかけて リュウビがきさまらになにをくれる?
(司馬昭CV 速水奨)

ソウヒさま・・・ われらが リュウビぐんとのたたかいに いっさい さんかしなかったわけを いま
あきらかに いたしましょう
〇〇よ・・・ ソウヒのくびは わしがとった しかし ギのくにを きさまらに やるわけにはいかん
これをみやげに ケンギョウまで かえるがいい きさまらごときに このシバイさまのラクライを
かわすことは できまい
〇〇よ! わが しょうがいのゆめ てんかとういつ!! きさまらごときに じゃまはさせん!!!
(司馬懿CV 石橋蓮司)

 いやね、この記事もそうなんですが、なんか「おっしゃ!ひと仕事やったるわい!」というとき、ワタシ必ず流すのがこの「天地を喰らう」(1989カプコン。ちなみにAC版もあるんだけど断然FC版よ!)の大将戦(仮称)のBGMなんですわ(つべこべ言わんのでとにかく聴いて!)。ご覧のとおり、名だたる武将に名だたる声優陣がかってにCVするレベルですわ。おそらくこの記事を閲覧されているみなさまで、三国志をご存じの方は少なからずいらっしゃると思われるのですが、きっかけはやっぱ横山光輝のマンガっすか?それとも光栄(現コーエーテクモ)版っすか?それともガチ小説ですか?自分は間違いなくこのゲームです。
 で、何が言いたいかといいますと、BGMの効用も大いに語りたいところであるのですが(回を改めて、必ずや本願を達せんと欲す)、何を隠そうこのゲーム、(知らんという方はとりあえずようつべご覧ください)とにかくやたらめったら「すぐにボス戦になる」ゲームでして、この、「これでも喰らえぃっ!!」っていう経験。今回はまさにコレをお伝えしたいのですよ!
 ってのは、お子さん方がお通いのどの塾であっても、毎週必ず「前回の授業のおさらいテスト(仮称)」をお受けのことでしょうが、現場に立つ身としてはズバリヒトコト。「オマエらさぁ、もうちょっと『ボス戦』感出そうよ!」なんですよ。ホント、あまりにも「ああ毎度おなじみのアレですねハイハイわかりましたよやりゃいいんでしょ」で、ワタシに言わせりゃ「だから『復習』になっちゃいねーんだよテメーらは!」なんですよ。おそらくこの記事をご覧のみなさまがたのお子さん。ほとんど必ずゲームやってるでしょ?で、あればこそ、自分は声を高らかに宣言したい。「オメーら『ボス戦』の緊張感の経験はないんかい!」と。今回はそんな話です。
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戦略の階層01-99


ではいよいよ次回からは、中学受験の社会科を舞台に「理論と技法」の具体を探っていくこととしましょう。

・・・と、言ってはみたものの。

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    /_      |
    /. \ ̄ ̄ ̄ ̄|
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| | | |     ┃─┃|  < 正直、スマンカッタ。
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| || | |    ̄  ̄|

 ・・・いやぁ、メンゴメンゴ!このワタクシめがオッサン仕草MAXでいろいろ謝罪と反省を要求されますですわ、ハイ。まずもって前回の記事からだいぶ間が空いてしまったわけですが、こういうときこそ怪我の功名(という強引な手法w)。今年度の共通テストも首都圏中学受験も一段落、すなわち戦況が明らかになってきた!ということで、例えばこんな記事が出ていて、そして当該記事中からも「今後、このように(引用者注:2023年度世界史Bの問題の一例から)、「普通だったら○になる選択肢が、『文章に書いていないから』という理由で×になることが増えてくるのではないか」と僕は考えています。「言いすぎテクニック」が、今後使いにくくなってしまう可能性を示唆していると感じました」、あるいはまた、「今後もしかしたら、単純なテクニックは使えないけれど応用のテクニックは使えるという「テクニックを使うための読解力」を求める問題が多くなると言えるのではないでしょうか」のように、いみじくも前回の記事でワタシが「「例の方法」は通じずとも、「的を絞って史料(資料)を読む」という「テク」は確立できそうだということです」と指摘したのと同調するかのような意見が出ているのです。
 「読解力を高めることを『テク』と言うか?」。この命題には疑問の余地が残ります。しかし、少なくとも「共通テストを解くために読解力を高める必要がある」。この命題はワタシの担当する社会科「以外の」講師の誰もが口をそろえて「Yes」と言うに違いありません(特に理系の方なら、アノ悪名高い(?)数ⅠAの悪夢の話を聞き及んでいるやもしれません)。もちろんワタシの答えもYes一択です。
 そしてそう考えているのは世間様でも同じようで、例えばこの特集では、インタビュエ(インタビューされている人)が判で押したように「とにかく文章量が多い=情報処理能力が必要(で、もっと言えばその「善悪の評価」が真っ二つ=毒にも薬にもならない、の真逆を行く存在である)」という評価であるわけです。
 まぁなんせそもそも論として、2025年度から「情報科」なる教科が合流するわけで、もはや情報処理能力という「リテラシー(=読み書きの力。転じて、ある能力を使いこなすための前提能力のこと)」なんでしょうね、情報処理能力という「能力」そのものが。しかし、さりとて情報科は高等学校から履修するもの。初等(および前期中等、つまり小中学校)教育段階でそんなモンがないんならばそれをあらかじめ用意しとくってのがまぁこのブログで言うところの「テク」であり、かつ「戦術」であり、さらに「戦略」である、というものでしょう。で、あれば、いったいそんなシロモノをどっから引っ張り出してくるんだい、とな。そこでワタシがかねてから目をつけていたのがこの「RST」なるものなのです。
 当該テストの主宰はあの「ロボットは東大に入れるかpjt(通称「東ロボくん」プロジェクト)」で一躍名を馳せた新井紀子あらいのりこ女史。氏がこのpjtの帰結として到達したのがズバリ「読解力とはなんぞや?」ということでした。そして現在、このテストでは読解力を以下の7項目の力と定義しています。いわく、「係り受け解析」「照応解決」「具体例同定(辞書)」「具体例同定(理数)」「同義文判定」「推論」「イメージ同定」。詳しくは当該サイトにそれらの具体的な例題があるので、まずは試していただくのが早いでしょう。そして、このような「還元された要素を手っ取り早く鍛える」というのがこのブログで言うところの「テク」ということになるワケです。さて問題はそれは「手っ取り早く鍛える」ことがそもそもできるのかどうか?なかなか本丸にたどり着けない本企画ですが(^_^;)、まぁこれも選択肢問題の「リテラシー」として、急がば回れ。がっぷり四つで取り組もうではありませんか!


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